2014年5月16日金曜日

【ヤナセコラム】学業をゲーム開発に活かす

私の周辺のアカデミックの世界ではよくDemo or Dieという言葉が使われます。
論文はもちろん重要だが、どれだけの実験データや論証よりも、デモをしてすぐに伝わる事が重要、というニュアンスの言葉です。
これは非常に重要な精神で、例えば就職活動などにおいても、どれほど自分が努力して来たか、情熱があるか、夢があるかという事を語るより自分で作ったデモを見せる方がずっと伝わるものがあります。

このデモというのはゲームには限りません。むしろ大学生、院生の場合は大学の研究成果の中でゲーム開発に活きそうなものを見せられると非常に強いです。学部生は自分の専門に学校でいちばん詳しく、院生は日本でいちばん詳しく、博士課程になると世界でいちばん詳しいなどと言われます。研究には新規性と有用性が非常に重要ですが、それがゲームにとって役に立つと納得してもらえれば、他に換えの効かない唯一無二の人材として迎えてもらえるでしょう。

とは言え、情報科学系でもなければなかなかストレートにゲームに活かせる研究成果というのは出せないかも知れません。その場合、武器となるのは自分の専門性を獲得する過程で身に付けた物の見方です。

例えばVRを勉強すると、同時に人間の認知や感覚の仕組みを学ぶ事になります。日々自分の見聞きした世界を、センサーの塊としての自分を軸に認識する事で、新しい刺激の与え方、新しい感じ方を発見出来るかも知れません。
同様に生物学を専門とすれば、マクロな生態系を軸とした見方をしていたり、逆にミクロな視点を持っていたりするかも知れません。
法学を学んだならば、ルールというものがどのように生まれ、どう人に作用するのか敏感になるでしょう。

学んだ専門によって、世の中や現実の現象をどうモデル化するか、という軸が変わり、そこにそれぞれの個性が出て来るわけです。

よくゲーム開発を職業としたい大学生に、専門学生やゲーム系の学科の学生と比べて不利ではないのかと聞かれる事があるのですが、制作経験やゲームとしての成果物を軸とするならば不利である事は否定できません。しかし、専門性という軸でみるなら、現場の誰も持っていない知見を持っていると考える事も出来ます。
例えばマクロ生物学を学んだ学生は、大きな視点で自然界を捉え、それをモデル化する事が可能です。それをシミュレーションゲームやパズルゲームなどに応用すれば、これまでになかったゲームが生まれるかも知れません。
また、シリアスゲームなどの場合単にゲームが作れるだけでは面白くても十分に効果のあるものを作る事は出来ません。例えば児童心理学やカウンセリングの知見を活かし、子供に学びを与えるコンテンツなどを設計しようと思ったら専門性は必要です。

ゲーム開発会社のスタッフは、ゲーム作りについてはプロです。学校でどんなにゲーム作りについて勉強しても、なかなか彼らを感心させるほどの事をするのが難しいでしょう。しかし、大学で学んだ専門に関しては学生の方がずっとプロフェッショナルである可能性が高いのです。そうした知見で作られたものは、ゲームとしては今一つでも「なるほど!」と言わせることが出来ます。そこからゲームを面白くする事は、プロなら出来ますが、まったく未知の知見を使ったゲームはなかなか出て来ないのです。
非ゲームの世界からゲーム会社を目指そう、という方はそこをスタート地点として意識すると良いでしょう。

特に様々なツールやゲームエンジンなどが充実してきている昨今、それらを使いこなす事が重要であると同時に、それ以外の部分で差がつくようになってきました。
新たなエンターテインメントを確立するのは、ゲーム以外のところからやってきた知見かも知れません。